top of page
SoundRest-logo
月の夜のバルコニー2.mp3サウンドレスト
0:00 / 0:00

被曝3世の語り部|核兵器のない世界と平和を願って

  • 執筆者の写真: 三木
    三木
  • 8月6日
  • 読了時間: 3分

更新日:8月11日

サウンドレスト代表の三木です。


本日、8月6日は亡き祖母の故郷、広島に心を寄せるため例年すべての業務を休業し、静かに平和を祈念しています。



祖母はあの日、生存率が最も少なかったと言われている原爆投下1km圏内の船入町に暮らしていました。

当時、健康な男性はみんな戦争に出ていたので、女手だけで子どもたちを育てており、祖母も2人の幼い女の子(6歳)と男の子(4歳)を母親に預けて、朝から勤め先の会社に出社していました。


1945年8月6日8時15分。猛烈な熱波を感じ、とっさに側にあった水槽の水を被ったと聞いています。

(原爆資料館にも、尋常ではない灼熱の爆風が広範囲に広島を襲ったという記録があります)

物陰に居て一命を取り留めましまが、このとき、祖母の頭の皮はズルむけたそうです。

急いで自宅に戻りましたが、倒壊した門で入口が塞がっています。炎で焼け落ちていく家の中から、母の最後の叫び声が聞こえました。


「ここに居たらあんたも焼け死んでしまう!ここから離れて、鉄ちゃん(弟)を探しんさい!」


その言葉を聞き、涙ながらに家を離れた祖母は翌日、何かあったらここで落ち合おうと約束していた八日市の役所前広場で、弟と再会することができました。そこは舟入町から距離的に離れた町でしたが、役所前までいけば、何かしら助けて貰えるだろうと予想していたそうです。

事実、役所前に避難してきた人たちにはおにぎりなどの食べ物を配って貰えたそうですが、それよりも命を救う結果となったのは、すぐに爆心地を離れたことです。

当時、放射線の恐ろしさは知られていませんでしたが、その場に居た人たちは残留被爆を受けてたくさんの人が亡くなったそうなので、祖母の賢明な判断があってこそ、後世に命が繋がったのでしょう。

戦争を経験している人は、多くを語りだかりません。祖母もそうでしたが、家は跡形もなく焼け落ち、親と我が子の遺骨のひとつも見つけられなかったそうです。それからは、どこを歩いても祖母や我が子の散らばった骨の上を踏んでいるようで、祖母は舟入町にはとても居れなかったと話していたそうです。


避難先として親戚の家を頼りましたが、アニメ映画「火垂るの墓」と同じように邪魔者扱いされてしまった?ようで…知恵を働かしてどうにか調達した資金で木材を購入し、ほったて小屋を作って女手一人で弟を守り抜きます。

その後、戦争から奇跡的に生還した祖父と再会を果たして、後世に命を繋いでくれました。

私の母は、そんな祖母と帰還した祖父の間に戦後生まれた被曝2世です。耐え難きを耐え、命を繋いでくれた祖母のお陰で、命が繋がっています。

私は音楽制作を通して、今を生きる人はもちろん、100年先の未来にも「平和への願い」を送り伝えていきたいと思っています。


戦争のない日常が何よりの幸せです。最後までお読みいただき、ありがとうございます。

コメント


bottom of page